真打ち競演
老眼のせいか、脳の不具合のせいだろうか。目が疲れる。以前はあんなに好きだった映画やドラマも観なくなった。
その代わりにラジオをよく聴くようになった。ラジオドラマ、落語、講談、漫談など。声だけの芸は、こちらの想像力をかき立ててくれる。
聴き逃がしサービスも有難い。
昨晩は神田伯山の講談「赤穂義士伝より大高源吾」と柳家喬太郎の落語「擬宝珠」を聴いた。
四十七士の仇討ちの話がなぜこんなにも人の心を打つのかという問いに対して伯山さんのお師匠さんはこう語ったそうです。
「単なる仇討ち物語ではない。
別れを描いているから人の心を打つのだ…。」
愛する者との今生の別れほど
つらいものはない。その別れを直接的な言葉で表さないところに日本人の奥ゆかしさと美意識があるのかもしれないなと思いました。
一方、喬太郎さんの落語は愉快でした。金属舐めるのが趣味な一家って
貧血ですか?
マクラからオチまで巧い流れで、これぞ達人の技!と膝を打った。(終)
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