肩コリコの日常

ゆる〜く日常を綴ります。

中村哲医師と共に歩むペシャワール会(平和医療団)




江南市の市民会館で行われた映画と講演会に行ってきました。山好きで昆虫採集が趣味だった中村医師がパキスタンに渡り、ハンセン病の診療やアフガン難民、貧民層の診療活動に従事していった理由。それは以前医療活動をしに行った時に、薬が全然足らず「助けてくれ!」とすがりつく大勢の貧しい病人たちを置き去りにしたことへの深い後悔の念でした。


マスコミには一切公表しなかったこと。それは中村さんの次男が脳腫瘍のために10歳で亡くなったこと。息子の命があとわずかであるなら、ずっと息子の側にいたかっただろうに…。


中村さんは戦火と貧困の中で我が子を亡くす親たちの悲痛な叫びを我が事として、家には帰らずに現地で献身的に医療活動を続けた。


中村さんはその後アフガニスタン東部へも活動範囲を拡げ、医療活動と並行して大干ばつに被災している農村復興のため、灌漑水利事業に携わりました。


灌漑工事をいちから勉強し、粘り強く現地の人々を説得し、手作りの水路を

何年もかけて作りました。砂漠を緑に変え、何十万もの人々の命と暮らしを

救ったのです。


故郷福岡の山田堰を古文書を読んで研究し、現地の激しい流れの川を堰き止め、流れを変えることもしました。


大洪水に見舞われ、水路は破壊されました。絶望から立ち上がり、再び灌漑工事に取り組む中村さん。自然に対する謙虚な姿勢に胸打たれました。


残念なことに中村さんは銃弾に倒れ、共に働いてきたスタッフたちも亡くなりました。


中村医師の活動を支えるために友人らが立ち上げたペシャワール会は、中村さんの遺志を受け継いで現在も継続しているそうです。


人の幸せは経済力や武力ではない。

助け合って、人間の優しさと温かさを感じながら笑顔で生きることこそ人の幸せなのだなと思いました。


会場近くの公園にて。









それではまた。