辺見庸「もの食う人びと」②
「食いものの恨み」
(ロヒンギャ族難民キャンプ)
1991年後半。仏教国ミャンマーの軍事政権がイスラム教徒ロヒンギャ族を迫害。何十万人もの難民がバングラデシュに流入。
難民たちの生活は。
何もない土間(敷物、電気、ガス、ベッド、ラジオもない)。
3畳ほどの空間に4〜5人が同居。
拾ってきた石の上で腐りかけの魚を調理。包丁もなく、尖った石の角を使う。蒸しパンも石で叩きつぶして米粉を作る。女性は日がな赤子の世話と料理に明け暮れている傍らで男性は寝そべっている。
キャンプにたどり着いた当初は地元民に親切にしてもらっていたが、国際赤十字などの食料支援(一人につき月に2,000キロカロリー程度の乾物と野菜。生鮮物はなし。)が始まった途端に村民の嫉妬が。
治安上の理由から薪の配給はなし。
薪がなければ料理ができない。
薪を手に入れるには配給食料と引き換えに村民の言い値で買うしかない。
結局ほとんど食べられない。
村民の言い分は。
難民は働かずに食料をもらっている。薪がないから山の木を勝手に切って使う。(事実、山は禿山になり3億6,000万円の損害らしい。)
キャンプ内では幼児を中心に10ヶ月間だけで3,200人以上が栄養不足や病気で亡くなった。
何も罪もない市井の人々が犠牲になる。ひもじい者同士の悲しい感情の行き違い。
為政者たちは何を考えているんだろう。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。