辺見庸「もの食う人びと」①
東京では50万人分の1日の食事量に匹敵する残飯が無感動に捨てられているという。
飽食は飢渇への入口なのかもしれない。
この本はルポライターの辺見庸さんが1992〜94年に世界中を歩き回って人々がどのように食べているのか、いかに食べられないのかを体を張って調査した記録。
第1章「残飯を食らう」(バングラデシュの首都ダッカにて)
スラムの人口170万人
スラムの調理風景。拾った石をかまどにして地上0cmの調理。拾ってきた鶏の足だけを煮込む女性。
その日の残飯(披露宴)である焼き飯12円。白米15円。骨付きの鶏肉やマトンが添えられている。腐敗臭消しの線香が5〜6本焚かれている。
リキシャの運転手は1〜2日前の残飯(6円)をもりもり食べていた。
幼児が腐敗しかかった肉にむしゃぶりついている。
ゴミ置き場では子供、犬、カラスがいがみ合ってゴミを漁っていた。
大量輸入しては食い残す者。
残飯を買って食らう者。
残飯すら食えずに餓死する者。
禽獣は喰らい
人間は食べる
教養ある人にしてはじめて
食べ方を知る
(ブリア=サヴァラン「美味礼賛」)
しかし。辺見さんはサヴァランの言葉に対して厳しい一言を放つ。
「教養ある人だろうと富める者だろうと喰らう。彼らは優雅に食らっているだけ。」と。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。