辺見庸「もの食う人びと」⑤
「ミンダナオ島の食の悲劇」
内容がかなり深刻で衝撃的です。
繊細な方はスルーして下さい。
1946〜47年はじめにかけてインタバス村とその周辺で38人の村人が残留日本兵に殺され、その多くが食べられた。
頭部など残骸や食事現場の目撃証言で事実は明白になっている。
現地には豚、鹿、猿もいたのに。
里芋も生えていた。
将兵たちは銃も持っていたのに何故?
日本側は一度として調査団を派遣していない。何故だろう?
残留将兵の内10人がマニラの法廷で死刑、4人が無期懲役を言い渡されたが、恩赦で刑は執行されずに帰国したという。
その後、キリスト教徒になった人、ミンダナオの村に薬品を送ってきた人、現地入りして村民に謝罪していった人もいる。
元フィリピン大尉は、1947年はじめ残留日本兵掃討作戦の時、未明に日本兵が残していった鍋の中で野の草と煮てあった肉を犬の肉だと間違えて食べてしまった。日光が射してきてから耳、指の形で人だとわかった。
その後、彼は遺族らを対象に聞き取り調査を始めた。個々人については恨んでいないという。日本政府になんらかの補償を求めたいが、補償要求といっても、人知れず悩み抜いているだろうその人たちには迷惑はかけたくないと言う。
彼は帰国した元残留将兵と文通していただけでなく、日本に語学研修に行った娘の身元保証人になってもらったこともあるそうだ。とても親しく交流してきた。
戦争さえなければ。
こんな悲劇は生まれなかった。
(画像はお借りしました)
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