肩コリコの日常

ゆる〜く日常を綴ります。

ガリラヤのイエス



日本基督教団引退教師の山口雅弘さんのお話を聞きました。


イエスは権力に立ち向かい、社会的弱者の人権を取り戻そうとした多くの革命家、社会運動家の人々の中の1人である。


イエスは下層農民。兼業農家であった。木工職人(石膏職人という説もある。)


共生、助け合いのコミュニティで育った経験がその後の人格形成へとつながった。


やせ細って骨が浮き出ていただろう。肌は浅黒く、日に焼けていただろう。猫背で、手は労働によって傷だらけで荒れ、歯も抜けていただろう。


12月25日は別の宗教の太陽神を祀る日であり、権力者が「イエスこそ全ての神」として権威化するために制定した。


マタイの福音書では、紀元前4年以前(ヘロデ王の時代)に生まれたとある。


ルカの福音書では紀元後6年と記されている。


使徒信条では生誕については記述はなく、「マリアから生まれた。ピラトに苦しめられた。晒し柱に架けられて殺された。」とだけ記されている。


晒し柱は木の棒で、色々な形がある。

✝ ✖ T I など。


イエスの生育地であるガリラヤという国は4つの苦しみを負っていた。


①大国からの侵略と搾取

ローマ帝国の支配。南ユダ王国からの支配と搾取。ヘロデ王の支配と搾取。


②ユダヤ教の宗教悪(弾圧)


③政治と自然災害による貧困


④度重なる戦争


ガリラヤは西にローマ帝国、東はアジア、南にエジプトという交通の要衝であり、豊かな穀倉地帯であったため、当時の農民は大国のエゴイズムの犠牲になった。侵略、強奪、差別や重税に苦しんでいた。農民は寿命が30歳で、大方の人が寄生虫に冒され、歯が抜け落ちていた。


現在ウクライナ侵攻しているロシアのプーチンが信仰しているギリシャ正教の総主事は「あなたがたの犠牲を祝福する」と語った。これは間違っている。


太平洋戦争時の日本でも、軍による圧力で犠牲の死の信仰が強制させられた。憎しみは憎しみの連鎖を生ずる。

暴力は幸せを生まない。


福音には「人々の叡智で行政の変革を求めよう。暴力ではなく対話による共生を。」と記されている。


世界のどの宗教も愛を説き愛し合うように説いている。歴史を見直し、思考停止せず、共に生きる道を考えましょう。それが希望につながると思います。


イエスの時代から女性、子供、奴隷に対するハラスメントはあったが、彼らを抑圧したということは逆に考えれば

権力・権威に抗ってきた人達が多かったということだ。我々の人権を守るために立ち上がって意見を述べてきた人たちがいたからこそ弾圧もあったのだ。


絶望も永遠ではない。


(山口雅弘さんが語られた言葉を私なりに解釈、要約しました。)