肩コリコの日常

ゆる〜く日常を綴ります。

竜巻

アメリカ、ケンタッキー州で、先日、ひどい竜巻が発生して、沢山の方が被害に会っていると聞きました。


ワシの両親が、昔、ケンタッキーのバーズタウンという町に住んでいたので、ワシも1度訪れたこともあって、なんだか他人事とは思えず、痛みを感じております。


竜巻が来たら地下室、トイレ、お風呂に逃げなさいと教えられました(配水管があって、土台がしっかりしてるから?)


なのに、今回は、お風呂に避難していた方もお亡くなりになったんです。


日本でも、ここのところ、竜巻も増えているので

とても心配ですね。


日本は、自然災害の多い国ですから、税金をミサイルなんかに使うより、地震対策とか水害対策とかに回して欲しいな。


それにしても、生きているのは奇跡ですね。


今日も頑張って生きていきますよ。

野菜を収穫

我が家は、近所の市民農園を借りておりまして、気まぐれに、テキトーに野菜を作っております。

(主に夫と長女が世話してます。ワシは収穫係。)

去年は、大根が豊作で、毎日大根料理でしたよ。子だくさんの我が家は助かっとります。

夫の方針で、完全無農薬、無肥料、雑草も抜かない畑ですだ。


今日、収穫がありました。

ピーマン、ねぎ、カラシ菜、菜の花、トマト、なす。


しょぼいかもしれないけど、ご覧下さい。


ウルトラスーパー猛烈ビジネスマン

今朝、冷蔵庫に話しかけてみた。

「今日もヨロシクね!」

そしたら、こう返してくれた。

「ヨロシクオネガイシマース。ライネンモ、

ヨロシクオネガイシマース。」

で気が付いた。もう年末なんだと。


去年の今頃だった。父が緊急搬送されて、病院に入院したのは。医師か電話があり、「お母さんは認知症なのか、話が伝わらないので、すぐに来て下さい。」


ワシは二重の驚きで、かなり動揺したけど、

なんとかなりました。父も、一時は危険だったらしいが、無事に退院できたし。


それにしても人って老いてゆくもんなんですねぇ。


父は、昭和ヒト桁生まれ。終戦は16歳です。

兄は海軍兵学校で特攻隊の訓練生だったけど、戦争が終わってくれたので行かずに済んだそうです。


父は、戦争中から、英語を猛勉強して、戦後は、得意の英語を生かしてモーレツビジネスマンとして世界中を飛び回ってきました。


父は、ワシをゴルファーにさせたかったみたいで、子供用ゴルフセットを与え、毎週末、練習場に行かされましただ。ワシは、棒で球を叩くスポーツのどこが面白いのかが分からず、練習後のジュースだけを楽しみに、惰性で通ってましただ。


そのうち、父も、ワシの運動能力の乏しさと、

闘争心の欠乏に気が付いたみたいで、ゴルフは自然消滅しましただよ。


運動がダメなら、芸術で。「音楽には国境なしと

言うだろう。ピアニストを目指しなさい。」


こうしてワシの半ボケピアノライフが始まったのです。チャンチャン!