肩コリコの日常

ゆる〜く日常を綴ります。

ゆるゆる読書





 難しい言葉がいっぱい出てきたので

よく理解できませんでした😓


私が「あー。これ分かる!」と思った部分は…


(以下抜粋)

今の世の中、孤独がなくなっている。孤独な経験がないから人はすぐに寂しさを感じる。


孤独(人とのズレ)により自分自身との長い対話が始まる。


仲間とか繋がりばかりが強調されている時代で孤独の重要性が本当に忘れられてしまっている。


勉強すればするほど人とのズレが生じる。それが「キモい」と言われる。

勉強することがズレることだとすれば、それは最終的、孤独をきちんと享受できるようになることだ。


ムラ的なものが強まる形になり、過剰に空気を読み合う状況を生み出し、その中でいかにコミュニケーション付加価値みたいなものをアピールできるかの競争。コミュニケーション資本主義の競争が強まってきた。


この20年くらいでクローズドコミュニティの中でのノリにうまく乗れているとコミュニケーションが成功していると言われ、乗れていないとコミュ障と言われる。


授業はその内容以上に、先生の理解の仕方という思想を同時に受け取っている。その先生の思想に触れることが、内容を自分なりに理解したり、吟味したりしていくうえですごく大事。


対面授業によって教師もさらに自分の思想を吟味して内容を伝えるので成長できる。


LINEのスタンプとか絵文字とは、言葉を使わないコミュニケーションでも十分だということだ。ある種の情動の伝達だけをやっている。そして日常的なコミュニケーションはそれで十分だったことがわかった。


メールを書く時も、みんな自分で言葉を紡いで文章を書いていると思っているけれど、実際には予測変換されたことをピッピッピッと選んでいるだけ。


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なんだか怖いなと思いましたよ。

コミュニケーションというものに社会が支配されて、言葉が消滅しつつあるんですってよ〜😱


若い人たちは映画も倍速で観るしね。

イントロなしの歌じゃないと流行らないらしいしね。せわしないよね〜。


なにかを深く噛みしめる喜びとは縁遠いですね~。これも時代の流れですかね。昭和は遠くになりにけり…


それではまた。