「うどんの社会主義」 (ベトナム) ベトナムのハノイ。 伝統のうどん「フォー」を食べる時 現地の人たちはゆったりと味わって食べる。たとえ雨粒が器に入ってきても天の水と思い、それもまた味わい深い。 かたや東京の立ち食い蕎麦屋。サラリーマンの食事時間はほんの2〜3分。 風情なし(笑) 経済が発展するに... 続きをみる
辺見庸「もの食う人びと」のブログ記事
辺見庸「もの食う人びと」(ムラゴンブログ全体)-
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「食と想像力」(タイの猫缶工場) あなたの愛猫が食べているその缶詰が、どうやってできたものか想像してみたことがありますか? タイは日本の猫缶のほぼ全てをまかなう。猫缶作りは過酷な仕事だ。 〈猫缶作りの工程〉 ①臭気と熱気の中でのカツオを捌く力仕事 ②骨抜き作業。根気のいるピンセットでの小骨除去。 ... 続きをみる
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「ミンダナオ島の食の悲劇」 内容がかなり深刻で衝撃的です。 繊細な方はスルーして下さい。 1946〜47年はじめにかけてインタバス村とその周辺で38人の村人が残留日本兵に殺され、その多くが食べられた。 頭部など残骸や食事現場の目撃証言で事実は明白になっている。 現地には豚、鹿、猿もいたのに。 里芋... 続きをみる
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「人魚を食う」 (フィリピン、マニラの西280kmの ブスアンガ島) 人魚(ジュゴン)はとても旨いらしい。 民俗学者の柳田国男も書いている。 「肉ありその色は朱のごとく美味なり。人魚の肉と名づく。」 南方熊楠も「人魚の話」に書いたそうだ。「1668年(寛文8年)、コリン著『フィリピン島宣教志』P8... 続きをみる
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「ピナトゥボの失われた味」(フィリピン先住民アエタ族) アエタ族。類稀なる野外生活の達人。独自の時間感覚や物語、豊かな自然食文化を持つ。心優しい少数民族。 「暴力に対して暴力で立ち向かうことはほとんどない。そもそも暴力事件が生じることさえめったにない」(清水展著「出来事の民族誌」) 1991年のピ... 続きをみる
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「食いものの恨み」 (ロヒンギャ族難民キャンプ) 1991年後半。仏教国ミャンマーの軍事政権がイスラム教徒ロヒンギャ族を迫害。何十万人もの難民がバングラデシュに流入。 難民たちの生活は。 何もない土間(敷物、電気、ガス、ベッド、ラジオもない)。 3畳ほどの空間に4〜5人が同居。 拾ってきた石の上で... 続きをみる
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東京では50万人分の1日の食事量に匹敵する残飯が無感動に捨てられているという。 飽食は飢渇への入口なのかもしれない。 この本はルポライターの辺見庸さんが1992〜94年に世界中を歩き回って人々がどのように食べているのか、いかに食べられないのかを体を張って調査した記録。 第1章「残飯を食らう」(バン... 続きをみる